はじめまして
元プロボクサーのライドです。

 

自宅で筋トレやってます。

 

年齢アラフィフ。
妻と子供がいます。

 

ミニチュアダックスの長女と次女
がいます。

 

身長161センチ
体重60キロ

 

このブログを立ち上げる事を妻に話したと
ころ、インターネットで本名を出すのは、
妻や子供や犬にも関わってくるので不安が
あると言われた。

 

自分的には本名や顔出しは、やっぱなんか
アレなんで!と言う事でライドと名乗る事
にした(^^)v

 

 

プロボクシングの経歴という独り言



なんの取り柄もない18歳の時にマイクタ
イソンのKОシーンをテレビで見て『世界
チャンピオンになろう』と19歳でボクシ
ングを始めた。

 

結果は、
日本チャンピオンにはなったけど、
世界チャンピオンにはなれなかった。

ボクシングは自分との闘い!

 

ボクシングだけじゃなく、人生も自分との
闘いか?

 

普通が悪いと言う意味ではないが、自分の
理想とは違うと言う意味で、普通にみんな
と同じような事してても、普通か普通以下
になる。

 

『ボクシングだから、あんなに頑張れた』
『もう、あんなに頑張れるもんは無い』
なんて言ってると生活費だけのために働い
て、ホントの自分を見失って、あっという
間に5年10年と年月が経つ。

 

今の自分というのは、誰かに作られたわけ
じゃなく、全部自分が作ってきた結果だ!

 

ボクシングで1度KО負けした事がある。

 

なんのパンチをもらったかは覚えていない

 

どうやって立ったかも全く覚えていないん
だけど、後でトレーナーに聞いてみたら、
ロープにつかまりながら、生まれたての小
鹿のように立ったようだ!

 

立ってから何となく覚えているのが、レフ
ェリーがカウントを数えている手が見えて
、必死でファイティングポーズをとって、
『まだやれる』とアピールした事。

 

それから、脳みそがシビれていて、頭の中
で『ジーーン―ージュワン―ージーーン』
みたいな音が鳴っていた事だ。

 

その試合は、いつもの後楽園ホールではな
く地方開催の試合だった。

 

帰りは飛行機だった!

 

一瞬だけど・・・5秒くらいだと思うけど
このまま飛行機が堕ちればイイのに
と他の乗客の事も考えないで思ってしまっ
た事がある。

 

一瞬でも自分の事しか考えなかったオレは
痛いヤツや!

 

ボクシングの勝ちと負けって、天国と地獄
だ。 (行ったことないけど)

 

試合で勝つと、知らない人から『ライド』
『ライド』と握手を求められる事がある。

 

試合で負けると誰も近寄ってこない(笑)

 

プロボクシングは、はっきりしとるわ!

 

防衛戦の時に『挑戦者のつもりで戦う』な
んて言ってたら試合当日、自宅にチャンピ
オンベルトを忘れてしまって、後輩に頼ん
で後楽園ホールまで車で持って来てもらっ
た事がある。

 

そう言えばたまに遊ぶ、違う階級のチャン
ピオンに、『チャンピオンベルトはトレー
ナーに預けといた方がイイよ』と言われた
のを思い出した。

 

えっ?まさかアイツも?

 

その試合はTKОで防衛に成功した。

 

プロボクシング最後の試合は、判定で王座
から墜落し、引退を決めた!

 

カッコ悪いけど正直に言うと!

 

『もう減量しなくてイイんだ』て気持ちと
『もうリングに上がれなくなる』て気持ち
の2つが入りまじっていた。

 

6年間のボクシング人生が終わった。

 

その時、25歳になっていた。

 

プロボクシング引退後の職歴

プロボクシングを引退後は、お金を稼ぐ事
だけに執着して、働いてきた。


清掃業で独立して事業を立ち上げたんだけ
ど、清掃金額を安く請け負う業者が次々に
現れて、ある親会社から清掃金額を安くす
るように言われ・・・

 

『人の体は物じゃないし』
『体を薄利多売なんてできないし』
『したくない』
『価格破壊だ』

 

と思い『金額を下げろ』と言う親会社とは
サヨナラして、直請けのお客さんと1つの
親会社だけにした。

 



次は、大好きなラーメンをつくる仕事!
『いつかは自分のラーメン店を』そう思
い、ラーメン屋に就職した。

 

そして、清掃業の直請けのお客さんとある
1つの取引会社の収入とラーメン屋の給料
で生活しながらコツコツ貯金をしていた。

 

昼から夜はラーメン屋で働いて!夜から朝
まで自営業の清掃業で稼いで!とそんな日
常が2年11ヵ月つづいたころ清掃業のあ
る1つの取引会社の仕事がなくなり・・・

 

ラーメン屋の給料と直請け清掃業の収入だ
けじゃ目的を達成する事ができないので、
ラーメン屋をやめるしか・・・やめた。

 



ラーメン屋の次に始めたのは軽貨物の独立
ドライバー!築地の魚の配達だった。

 

ドライバーは職人に魚をさばいてもらう。

 

魚をさばいてもらってる間にパソコンで伝
票を作る。

 

パソコンと聞いただけで拒否反応する自分
は事務員のお姉さんに『あの、、、パソコ
ン』『お願い、お願いします』と伝票を作
ってもらった(^^;

 

それから魚を積んで出発。

 



ある1店舗目の大将から『こんな時間に魚
もってこられても困るんだよ!』『どうな
ってるんだよ!』『いい加減にしろよ!』
と毎日怒鳴られつづけ6ヵ月?か忘れたけ
ど、やめた。

 

ドライバーの次は、『ステップアップして
独立!』『独立支援制度あり!』という見
出しに目が留まり初めて求人広告から選ん
だ仕事!



その会社はファミリーレストランや居酒屋
や寿司屋のお得な割引券を販売する!

 

一般住宅やマンションでも会社でもどこで
も片っ端から飛び込み営業!完全歩合制!

 

しかし、入社して数か月後に飲食店の割引
券販売からフレッツ光の新規契約を取る営
業に変わる。

 

もちろん飛び込み営業!完全歩合制!

 

光の新規契約に変わってしまってから稼ぎ
が悪くなり、我が家の食事といえば、毎日
インスタントラーメン(T_T)

 

ある日、妻に言った。

 

ライド
卵くらい入れよう

 


金ない

 

Ω\ζ°)チーン終了!

 

今は、肉体労働者。

 

プロボクシング引退後のトレーニング

引退して3年後、サーフィンに誘われて行
ったんだけど、最初は、サーフボードの上
に立つ事ができなくて、とにかく全然面白
くなくて、すぐにやめようと思った。

 

でも、すぐにやめるのはアレなんでボード
の上に立って波に乗ってから『サーフィン
て、面白くないな』と捨てセリフを吐いて
やめる気だった。

 

が・・・

 

初めてボードの上に立って波に乗った時、
めっちゃ感動してハマった。

 

それから8年くらいして、子供が生まれた
のを境に今はサーフィン休止中!

 

サーフィンはトレーニングの代わりにもな
って凄く良かった。

 

サーフィンした次の日の筋肉痛は

■首
■三角筋
■肩甲骨周りの筋肉
■上腕三頭筋
■大腿四頭筋

などの筋肉痛と疲労感がボクシングに
そっくりだった!

 

でも、やらなくなってからの体の衰えに焦
り、自重トレーニングを始めた!

 

腕立て伏せ!
懸垂!
腹筋!
ロードワーク!
自重サーキットトレーニング!

 

まあでもアレだもんで、ボクシングのよう
に背中を押されるものもなく、本来の自分
は意志が弱く、
体の方は頸椎・腰椎・膝の
変形だとか断裂だとか!

 

そんな感じで1年トレーニングしたと思え
ば1年やらなくなり、3年トレーニングし
たと思えば1年やらなくなり、と言うよう
な事を繰り返していた。

 

今はアラフィフになってイイ歳こいてダン
ベルやバーベルを使ったトレーニング(筋
肥大)にも目覚め、自重トレやHIITや
色々と挑戦中!!

 

情報発信へと たどり着いた

ボクシングを引退してからの自分は、自分
じゃないと言うかなんと言うか、いつも心
ん中のどっかが『燃え切らない?』『煮え
切らない?
』『くすぶってる?

 

じゃあどうする?』となって

 



ボクシングの経験や筋トレの経験をいかし
色んなトレーニング・トレーニング器具
食事・ダイエット
などの良かった事!悪か
った事!から最新情報までを 自分なりに
このブログとYoutubeで情報発信していき
ます。

~ 1日1ミリ前へ ~

ライドでした(^^ゞ